「任那의 調」와 「任那使」
- 고려대학교 글로벌일본연구원
- 일본연구
- 第11輯
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2009.02199 - 220 (22 pages)
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本稿は、「任那の調」にする日本界の通的理解にする批判作業の一環として、特に「任那の調」の史的意義を追求するにおいて、いわゆる「任那使」の存在をその前提として理解してきたの通及び新の考え方について、その問題点を連史料である推古紀三十 年各の分析を通じて明らかにし、かつその可否を具的にしてみたものである。 言うまでもなく、「任那の調」の問題においていわゆる「任那使」との連を何よりも重視する日本界の傾向は、石母田正氏の提起したいわゆる「東夷の小帝小中華」論の多大な影響力と深くわるものである。つまり、日本古代史界では今現在においてもなお、日本古代家の特質及び外係史の性格を論じる際、まず持って、いわゆる「東夷の小帝国·小中華」論に基づいた究がその主流を占めているのである。 しかし、本稿の討結果からすると、いわゆる「任那使」の存在を前提として、「任那の調」の史的意義を追究してきた、石母田正に基づいたの理解の仕方は、史料的根を全く持たない、いわば砂の上の閣のような、脆弱な土台の上での論議であることが明らかになったと考えられる。 したがって、今後における「任那の調」の理解は、従来とは異なる視点点から行わなければならず、少なくとも、いわゆる「任那使」の存在を重視するイデオロギ的儀的側面に一貫する立場からは、一、離れるべきであろう。と同時に、「調」という日本書紀編者らの意識が色濃く投影された、律令用語からの解放も切に望まれるところである。
Ⅰ. 서 언
Ⅱ. 종래설의 문제점
Ⅲ. 왜 왕권과 「임나사」및 「임나의 조」
Ⅳ. 결 어
참고문헌
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