학술저널
本稿の目的は、日本の劇作家たちが金玉均に心を持った理由を具的に明らかにするところにある。特に1920年代、日本で金玉均がどのような人物として評され、当時金玉均がどのような値を持っていたかについて考察した。分析の象とした作品は秋田雨雀の<金玉均の死>(1920年)と小山內薰の<金玉均>(1926年)である。 本稿で分析した結果は次のとおりである。秋田雨雀の<金玉均の死>は冷酷な時代況、亡命政治家としての孤感、そして悲劇的な死に焦点が当てられた。つまり、秋田雨雀は自分が生きていた現の矛盾と不理を念頭において、知識人として感じていた孤感と憂鬱さなどを金玉均に投影して表したのである。小山內薰の<金玉均>も金玉均を通して同時代の問題意識を表そうとした。彼は作品の中で、矛盾と不理を作り出す主を絶的な助力者であった日本の外交官に設定した。小山內薰は日本の公使である松山を信できない浅薄な人物として作り上げ、最も信できる象さえも信できない悲劇的な況を描き出した。 このように秋田雨雀と小山內薰が描き出した金玉均は、なる植民地である朝鮮の知識人ではなかった。金玉均という朝鮮の近代知識人の中に自分たちの姿を投影させ、日本の知識人たちが感じていた不安と憂鬱さを同時に表現しようとしたのである。
1. 머리말
2. 문제적인 인물 김옥균에 관한 논쟁
3. 우울한 지식인으로서 김옥균의 형상화
4. 맺음말
Abstract
참고문헌
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