芥川竜之介は、子規をはじめ漱石と芥川などによって激動する近代に俳 句が西洋詩と区別され、近代俳句論が成り立ったと思われる。彼らの俳句と俳句観、俳句論は近代俳句の流れを把握するに重要なキーワードである。漱石と違って芥川は小説創作の旺盛な時期、句作をした。彼は病気が悪化した1923年から自殺した1927年まで芭蕉に熱中し、自分の俳句600句から77句を採録して澄江堂句集を残した。これは芥川の唯一の句集であり、彼自身の選別による句集であるので、芥川の俳句の特徴や俳句観を見出すことができる。本稿では、彼の実作と俳句論を通して彼の人生においての俳句の意味と俳句観を考察し、俳句史における彼の位置を探ってみた。澄江堂句集には自嘲的諧謔や機智の句、自然の美を表出した写生の句が多かった。彼が俳句の形式と作品の芸術性を強調していたほど彼の俳句には自然に対する愛情や美的感覚がこもられている。彼は発句が詩であるかぎり発句の韻律の特徴を活かし、季題に拘束されず有用な語感を用いることを提示した。これは俳句の詩語としての文芸的な価値でもある。この文芸的価値は各ジャンルの特徴に合わせて自然を表す作家の心地と芸術感覚に因るのである。芥川は欧米と東洋の混在の中、俳句の魅力とその機能を畵の表現法で捉えて伝統と新しさを明確に分別しようとした。彼による俳句の価値は伝統的に継がれてきた韻律と東洋的な叙情性に基づく美の世界である。彼の詩語は子規の俗語․漢語․日本語に対する思考や面白い趣向と一致している。俳句と西洋詩との明確な区別は子規、漱石、芥川に繋がれる。漱石の淡白、洒 落、出世間的な特色は芥川の写生、東洋的な詩的精神に表われる。
서 론
Ⅰ. 소설과 하이쿠
Ⅱ. 아쿠타가와의 하이쿠 세계
결 론
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