『다마쿠시게(玉櫛笥)』의 「지쿠쇼즈카(畜生塚)」이야기 고찰
- 한국외국어대학교 일본연구소
- 일본연구
- 日本硏究 第44號
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2010.06115 - 134 (20 pages)
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本稿は林義端の浮世草子『玉櫛笥』巻三の第一話「畜生塚」を取り挙げ、義端の構想と怪異性を中心に考察した。「畜生塚」は、豊臣秀次が関白の職を剥奪された後、1595年高野山で側近と共に切腹自殺させられ、その子と妻妾30余人は三条川原で処刑された所謂秀次事件を題材にしたものである。林義端は、1691年浅井了意が死ぬと、翌年には彼の遺稿集『狗張子』を出版して、その序文を書き、同年10月には『剪燈餘話』を出版している。義端はそれに止まらず、上記の作品を真似て『玉櫛笥』を刊行しており、それによって彼の作品構想における先行怪異譚の影響、及び了意の創作技法との比較を通して、義端の作品形象方法について考察するのが注目されている。本話について、これまでの研究では1625年頃刊行された『聚楽物語』が出典であるとされていた。しかし、本稿で注目したのは義端が秀次事件のみを描いたのではなく、幽霊との出会いと契り、別れ、歴史について評判するという、原話には見られない幽霊交歓譚としての話型を利用して、話を再構成したということである。 例えば、好色の人としての左門の人物造形及び情景描写、そして幽霊との出会いの過程は『伽婢子』の「金閣寺の幽霊に契る」の内容を全体的な骨格としたうえで、『剪燈餘話』の「江廟泥神記」から着想を得て作り上げたものである。また、幽霊との契りの部分は、『伽婢子』の「牡丹灯籠」から構想を取ったものであり、幽霊との別れは『剪燈新話』の「綠衣人傳」からヒントを得たものである。更に、幽霊が語る秀次の逸話について、義端は『聚楽物語』だけでなく浅井了意の『将軍記』も机上に置いて直接参照しながら執筆したことを新たに指摘できた。義端は本話の創作において、自分にとってまだ生々しい記憶として残っていた秀次の悪逆の逸話を素材としているが、これは江本裕氏が指摘した通り、了意の怪異譚の形象方法と基本的には同じものである。しかし、了意の場合、中国の話を一次出典としながら人物ㆍ時代ㆍ場所ㆍ事件を日本のものに変え、二次出典として日本の通俗的な歴史書を踏まえて肉付けを行っている。それに対して、義端は日本の通俗的な歴史書と『剪燈新話』『剪燈餘話』『伽婢子』などの和漢の怪異譚に見られる幽霊交歓譚の話型を解体してそれを再構成したうえで、日本の通俗的な歴史書を利用して作品を構成したのが特徴である。
Ⅰ. 머리말
Ⅱ. 이야기의 구조 및 문제제기
Ⅲ. 유령과의 만남
Ⅳ. 유령과의 사랑
Ⅴ. 유령과의 이별
Ⅵ. 유령이 이야기하는 히데쓰구의 일화
Ⅶ. 맺음말
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