1930代前半まで文壇を仕切っていた所謂「純文学」は、震災後、商業ジャーナリズムで出版市場が拡大していくなかで浮上してきた大衆文学の威勢にその危機が提起され、多様な題材やジャンルを試み、新しい活路を模索しなければならない状況に直面した。純文学の危機と大衆文学についての関心が高まっていくなかで、「小説」固有の問題、小説の「形式」をめぐる議論が行われていく。特に1930年代に盛んに行われた長篇小説をめぐる一連の論議は、日本文學における「長篇」という小説の形式が持つ意味を問いかけている。大衆小説や新聞小説などの「長篇」を通して文學の大衆化を求めてきたのは、政治的前衛が前提にある上での大衆化ではあるが、本来プロレタリア文學陣営であった。中野重治は文學の形式を新しくすることによって文學の大衆化を達成しようと考え、葉山嘉樹の`海に生くる人々 が長篇で書かれている点を評価し、社会機構を総体的に描くためには「長篇」でなければならないと述べた。中野のこうした論理は他のプロレタリア文学者にも共有され、転向の時期を経て、1930年代後半に到って旧プロレタリア文学者らが結集して「長篇小説刊行会」の結成と機関誌「長篇小説」の刊行につながっていく。彼らは現実社会が短篇小説の方法では表現できぬほど変化しているという自覚に基づいて、現在の社会を描くためには「長篇」という形式が要請されるとし、散文芸術としての「小説」の意味を喚起させている。「長篇」という形式が要請されているのは、文壇の現象論的な側面を越え、時代的必然性をもって「小説」の本質的な表現形式として問い求められているのである。
I. 연구취지
II. 본론
III. 맺음말
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