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학술저널

イデオロギーと希望

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本研究は、1912年に内務省の計画によって、日露戦後の国民精神統合を図るべく推進された三教会同政策と、それに対応して行われた天理教の講習会、講演会を分析する。それによって、近代天皇制イデオロギーがどのように民衆宗教へ浸透していくのかを問う。支配的イデオロギーと民衆の希望が接合されるプロセスを分析することで、そのプロセスのなかで産み出される言説の在り方を考察する。天理教の三教会同活動では、地方講演会という天理教の公共空間を通じて、国家的で世界的宗教という意識が信者一般に広がり、「ひのきしん」の教義概念が国家と社会に対する「犠牲的精神」として浮上してきた。同時に、日本を「根の国」とし、外国を「枝先き」とする「本家意識」も、世界の宗教をリードすべき「兄」の宗教としての天理教、という使命感とともに成立することとなった。天理教者たちの世界救済、世界平和への希望は、宗教を国民教化政策に動員しようとする政府側の戦略に積極的に協力する形で、天皇制イデオロギーにコミットする回路=公共空間を自らの信仰生活の内部に作り上げた。彼らの希望が天皇制イデオロギー形成に果たした役割とは、日本建国の大理想を実現すべき「万世一系」の子孫である天皇、というイデオロギーを、日本国と日本民族を超える、世界を平和へ導く神としての天皇、という天皇の神聖性を自明化するイデオロギーへと転回させることに、決定的に寄与したことである。戦前の宗教教団が国家イデオロギーに密着していたことに対して、戦後において、それは国家による強力な抑圧があったにせよ、宗教本来の普遍性から国家主義を乗り越えることができず、宗教本来の真正さを曲折することであったとする「反省」の姿勢はいかがなものだろうか。ないしは、戦前の宗教者のなかでは、「純粋な宗教的精神」をもって国家に対抗していた者、あるいは、国家的イデオロギーに関わることなく、真正な宗教者の道を歩み続けた人びとも、まれではあるがいたのであり、そういう事例を探し続ける作業もそれなりの意味はあるだろう。しかし、そのまえにまず、宗教の普遍性ㆍ普遍主義といったものが、国家に投影された信仰的期待と希望によって歴史的にあらわれたものでもあるという「絶望」に立ち向かうこと、その「苦」の感覚を連帯の絆として覚悟しないかぎり、その普遍性ㆍ普遍主義の宣揚は、いつ、どこでも、他者を同化しようとする強烈な機制として作動するのである。

Ⅰ. 問題の所在

Ⅱ. 三教会同と天理教の宣教員講習会

Ⅲ. 天理教教師講演集

Ⅳ. 普遍性ㆍ普遍主義の問題—むすびにかえて

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