학술저널
芭蕉には19才の時に俳諧に入り、貞門から談林を終えて俳諧の世界において、ある程度の位置を築いたが、貞門談林の言語の遊戯に限界を感じ、俳諧の新しい方向を模索するための深川の芭蕉庵での隠遁生活をすることになる。芭蕉の「奥の細道」の底に流れる「漂泊」という想いに、なんとも言いようのない憧れのようなものを抱いていた。ふわふわと漂うようなその言葉の持つ響きも含めて、あてのない漂泊の暮らしがとても魅力的に思えたからである。人が生きているということは、例えどんなに孤独な人生と思えても、全く誰ともかかわらずに生きていくことは不可能である。何かしらの関わりがどこかにあるのではないだろうか。その関わりやしがらみがあるからこそ、漂泊する行為に意味が発生するのだと思う。漂泊していると認識するためには、漂泊という行為を映し出す鏡が必要である。漂泊する自分を写す鏡である。それは漂泊しない存在である。それが帰るべき家なのかもしれない。ここでいう家とは、物理的な家に限らない。例え本當に家がなくとも、そこが自分の家だと感じる場所、あるいは人、もしかすると精神的存在かもしれない。そんな存在があって初めて漂泊という行為を相対化して見る事ができるのだと思う。
Ⅰ. 들어가는 말
Ⅱ. 先行硏究
Ⅲ. 芭蕉의 漂泊과 歌枕
Ⅳ. 芭蕉의 漂泊에 나타난 杜甫의 影響
Ⅴ. 나오는 말
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