일제의 식민지 초등교육과 (曆)
The Elementary Education and an Almanac Under Japan Colonial Era
- 일본어문학회
- 일본어문학
- 日本語文學 第51輯
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2010.11437 - 458 (22 pages)
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本論文は、朝鮮人を愚民化することで、‘忠良なる臣民’に育成しようと思った日帝の植民地政策が、初等學校教育と日常でどう行われたことを敎科書と暦を通じて理解することにある。太陽暦の導入を前後してから日帝の植民地の韓国で使われた曆は実に日本の政治的な状況と密接な関係をもっていたといえよう。大韓帝國の末期、隆煕暦の体系を作り上げた日帝は、併合直後、これを<朝鮮民暦>の体系で変換させて、さらに暦書に記載された国家慶祝日を日本の祝日に入れ替えたのである。これで朝鮮の慶祝日、日本の祝日と日の丸がオーバーラップして一元化されるのをはかり、すすんでは日常化に力を入れたのであった。1919年3ㆍ1独立万歳運動に衝撃された日帝は文化的な接近に変わるにつれて暦は民衆の便宜を優先する側面も見せたりはしたが、その裏には<朝鮮民暦>の拡散を通じる‘日本國體の朝鮮利殖’の手段に過ぎなかったことも見逃してはいけないようだ。太平洋戦争の終わる頃即ち植民地末期、日帝は戦争に投入するための人力と物資動員のために‘国家有用性による国民養成’のために指針書の性格を帯び、朝鮮人の日常を曆をもって支配したといえよう。日帝が朝鮮の植民地の初等教育を根幹として暦をもって被植民の日常を統制し、‘国民化プロジェクト’の一環であったといえよう。これが繰り返されることによって漸進的に拡大され、秩序化さるつつ、植民地支配の正当性に変容されたといえよう。
1. 머리말
2. 태양력, 그 도입에서 정착까지
3. 식민지 초등교과서와 (曆)의 변용
4. 맺음말
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