大阪と神戸を中心に起きた阪神教育闘争は、冷戦の激化の下で占領当局や米国が社会主義の浸透を恐れていたこと、また南朝鮮の単独政府建設に対する反対の動きが日本にまで広がることを恐れていたことから始まった。つまりマッカーサー司令部は、在日同胞の祖国統一運動をなくそうとして、民族教育を弾圧したのである。当時在日同胞たちの大多数が朝連の下で集まったいたが、その朝連は祖国の統一のために戦っており、日本全国に散在する朝鮮学校を大衆的基盤としていた。解放直後から在日朝鮮人は各地に教育機関を作り、子女たちにウリマルとウリ民謡と童謡などを教えていた。民族学校の最盛期において本国の情勢が悪化すると、同胞たちは国の統一のために力を尽くした。司令部はこのような動きを不快に受けとめ、大衆的基盤の解体の一環として民族学校の閉鎖を試みた。1948年1月、司令部の命令に従い日本政府がすべての朝鮮学校に閉鎖の通告を出すと、すぐ山口県や岡山県などで同胞たちが立ち上がり、閉鎖命令を撤回するのに成功した。このような地域的な勝利は大阪と神戸の同胞にも大いに励ましとなった。その勢いで同胞団体は、日本政府との交渉で一応学校閉鎖命令の撤回を取りつけたが、占領当局はこれを無視して非常事態を宣言し同胞たちの逮捕に乗り出した。その結果、およそ2千人の人々が逮捕され裁判にかけられた。もっとも重い刑として重労働15年を言い渡された人も出た。この闘争は、在日同胞にとって。これ以上植民地支配の奴隷にされたくないという意思を貫いたこととして記念すべきことである。また、この闘争の過程で、同胞たちは自らの運動には日本の国民との連帯が絶対必要であることを学んだ。私は、この闘争を振り替える度に、ウリ言葉と文字を重んじ守っていかなければならないということを切に感じている。
Ⅰ. 4.24 阪神교육투쟁이란?
Ⅱ. 이 투쟁이 일어난 원인
Ⅲ. 우리말을 지키기 위한 투쟁
Ⅳ. GHQ의 대탄압을 물리침
Ⅴ. 4월 24일을 영원히 기념일로 한다
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