金鶴泳の「遊離層」に表れた忘れられたものの存在意識
Forgotten things' Concionsness of Existence in Kim, Ha-Gyon's Novel "Yuriso"
- 일본어문학회
- 일본어문학
- 日本語文學 第52輯
-
2011.02135 - 150 (16 pages)
- 23
本論文では、金鶴泳の小説「遊離層」における忘れられたゴルフの球の球戯の意味を考察した。ここでゴルフの球の球戯の意味するものは、忘れられ放置された存在であるゴルフの球を使って、新しい価値とか役割を絶え間なく追求する存在であろうと努力する主人公の姿を意味していると推崙した。つまり、「遊離層」において、忘れられたゴルフの球を使って毎晩15センチの円にその球を入れる球戯に耽る朴貴映の姿は、無意味な動作の繰り返しという風にも考えられる。しかし、忘れられた存在価値のないゴルフの球を毎夜二․三時間も決められた円に入れようと努力する主人公の姿は、ある目的を成就しようと努力する人間の姿に通じる。それは、あたかも、作家として成功するための努力を重ねている金鶴泳の姿にも通底するものがあるのではないかと考える。金鶴泳にとって、書くことは、自分を救ってくれること、拘束から解放してくれることである。そして、より良い生を生きるために、作家として成功すること、つまりその手段としての芥川賞受賞というこれらの願望が、彼に作品を書かせ、46歳まで生かせた。日本と朝鮮、北と南という狭間で、一在日朝鮮人としての不遇性を生きた金鶴泳であったかもしれないが、論者は、そう言う政治的な外因による運命的な観点からでなく、作家としての金鶴泳の内面に目を向けた。その結果、遊離層のテーマである忘れられたものの存在意識が何であるかが、ゴルフの球の球戯の意味を探ることによって明らかにされたのである。
Ⅰ.はじめに
Ⅱ. ゴルフの球と球戯の意味
Ⅲ. 忘れられたものの存在意識
Ⅳ. おわりに
(0)
(0)