학술저널

本論文では、同志社女子専門学校の1925年ㆍ1927年朝鮮旅行とその旅行記を手がかりに、「朝鮮の人々と自然に親しく接する」という旅行目的に注目して、植民地観光について考察を行う。「海外移住」をすすめるために、「無理解から理解」への旅として設定された近代日本の植民地観光旅行。しかし、柳宗悦ㆍ柳兼子が引率を行った旅行は、そのような方向性とは一線を画そうとしていた。柳夫妻が行ってきた音楽会事業に女子学生達もともに参加し、柳夫妻の姿勢や「親しく接する」という旅行の目的もあり、通常の観光旅行では出会えない可能性のある人々との多様な出会いを経験した。それを通して、日本の朝鮮支配に対する否定感を示すとともに、自身をも揺るがす視線を得た学生もおり、それらを旅行記文集朝鮮旅行記の記述をもとに紐解いた。近代日本の植民地観光とは何であったのか、その議論のための一試論として、この事例を紹介したい。
Abstract
はじめに
Ⅰ. 同志社女子専門学校と朝鮮旅行
Ⅱ. 女子学生たちの朝鮮旅行
Ⅲ. 「親しく接する」という経験のゆくえ
おわりに
참고문헌
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