本稿は、今日の日韓における「友好ㆍ善隣」のシンボルとして機能している「金忠善/沙也可」の歴史的な表象の作業を戦前に遡って検討することを目的とする。「金忠善/沙也可」は朝鮮が植民地となる一九一〇年代の段階では、ひたすら「売国奴」と評価され、かれの行跡が書かれているいくつかの史料もすべて偽作として批判された。だが、一九三三年に中村栄孝の論考が発表されると、「金忠善/沙也可」に対する認識は急転していくようになる。中村は、従来の研究に「実証性」が欠けていることを指摘し、「金忠善/沙也可」が歴史的に実在していたことを明らかにした。しかし、帝国日本の大陸への拡張の時期と重なっている中村の研究は、帝国主義の膨張の論理や普遍への欲望とも関わっていると思われる。「金忠善/沙也可」の表象に孕まれていた普遍への欲望は、戦後になると司馬遼太郎の再発見を経て、今日においては資本主義と結合され「こころのオアシス」という形で顕われている。本稿は、戦後に高く評価されてきた中村の「実証性」に基づく研究や、「友好ㆍ善隣」の象徴となっている「金忠善/沙也可」の歴史像を捉えなおし、「近代歴史学」そのものに含まれている暴力性をえぐりだそうとするものである。
Abstract
一. はじめに
二. 一九一〇年前後:朝鮮の植民地化
三. 一九三〇年代:帝国の拡張
四. 戦後:挫けられた「普遍」とその残映
五. 今日:資本主義と歴史表象
참고문헌
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