本稿では、西行の和歌と和歌観における華厳思想の影響の可能性をめぐって考察を試みた。西行の信仰状況においては、これまで天台ㆍ真言ㆍ浄土教との関連をめぐって多くの議論がなされてきたが、西行における華厳思想の影響の有無については、あまり考慮きれなかったように思える。西行の和歌に対する仏教の影響、とりわけ真言密教との関わりについては、山田昭全氏や萩原昌好氏等の努力によって大幅に進んでいるが、西行の和歌に窺える華厳思想と唯識説の解明については、ほとんど言及されたところがない。 しかし、西行には華厳経を詠んだ歌が『聞書集』の「十題十首」と呼ばれる歌群のうち、2首収められており、歌の数としては少ないけれども、華厳教学の中枢を占める「如心偈」(唯心偈とも)を歌題にして取り上げたこと自体、すでに西行が華厳思想に触れていたことを示唆していると言えよう。また、西行がその晩年に高雄を訪れ、自分の和歌に対する姿勢を高山寺の明恵に語ったとされる「西行歌論」(『栂尾明恵上人伝』所収)の思想的背景として、筆者は華厳教学の根本理念である「法界縁起思想」から、その意を汲んだものであろうと考えている。このことは、西行の伝記と信仰体系を考える上で、極めて重大な問題を提起してくれるのである。 さらに、西行和歌の「心」の表現上の特色からも華厳思想の影響と見られるものがある。臼田昭吾編『西行法師全歌集総索引』によると、西行は「心」の語を含む歌を全歌数2,186首の中に、346首を詠み込んでいる。これらの歌すべてが華厳思想に関わっているとは言い難いが、西行における「心」の追求にあたって唯心ㆍ唯識説の影響を無視することはできない。
〈要旨〉
1. はじめに
2. 華厳経の歌について
3. 西行の歌論 - 法界縁起思想との関わり
4. 心の深化 - 華厳と唯識
5. おわりに
【参考文献】
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