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학술저널

日本詩에 나타난 求道詩研究

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八木重吉(1898~1927)と宮沢賢治(1896~1933)という二人がほとんど同じ時期に出現したことは、大正時代の特徴的な事件の一つだと思われる。近代詩人の中で、宗教上の求道者といえる人生を生きながら詩を書き、詩の成立ㆍ構造ㆍ内実の求道者としての内面の現実と深くかかわっており、もっとも作品として重要な独自性をもっているのは、日本文学史上で珍しいことであろう。 歴史的な流れの中で、この二人の詩人は日本近代詩に独特な詩的言語をもたらしている。八木重吉はキリスト人(無教会主義)で、宮沢賢治は仏教信徒(法華経)であったが、信仰者として求道の宗教的な信条が詩人としての中心にあった。そして微妙な差異はあったが、詩を書くことが信仰にもっとも精進する作用をもっている点も、共通点としてあった。 重吉と賢治は出生も2年しか隔たっていない同世代人である。本格的に詩作を始めたのが大正10年前後で、第1詩集の刊行は重吉の『秋の瞳』が大正14年,賢治の『春と修羅』が大正13年であるから、ほとんど活動時機は同一である。死亡した年は重吉が昭和2年の29歳で、賢治が昭和8年の37歳であった。 そして、日本近代詩のなかであまり類のない求道の詩人が、大正10年代の時期に出現したのも大正期の特有の宗教的な機運の影響が及ぼしたと思われるのであろう。 このような日本近代詩の文学世界を参考にして、本考では八木重吉と宮沢賢治の求道的な詩をあげながら考察してみた論文である。 賢治と重吉の各々加熱された個性的な求道と詩の創造が詩の表現の構造を、形象を、単語の呼吸を、独特に書いているのを本稿では研究してみたのである。 重吉の短くて簡潔の口語詩、特に晩年の口語話法に近づきながら魂の光景を一括みせる表現、賢治は巨大な展開力をもっているビジョン宇宙を口語に独特な音律をもたせて書いたという対極的な作品は、日本口語詩の表現領域を各各の方位に広げたと言える。 それにはともに、宇宙観、世界観、死生観との関係があると思う。賢治が修羅を自らみながら悩みながら矛盾的な存在として深い屈折を内面にあるのを、作品の構造にも反映している反面、重吉は子供の心で神を呼んでいるひたすらな単純化で、超越へと向かう営為の文体にまで具現した詩人の姿勢が作品の形質に続いている。 詩の創造に対した宗教からの断罪という問題は、キリスト信者の重吉には現れているが、晩年の高揚期の重吉はもっぱら神を呼ぶことでそれに耐えようにみえる。 このように、二人に共通したのは「彼方からの声」をどこまで自身の中に引き受け内面化したニとと、それによって超越する側と白身をあけて受け入れるのにすべての存在をあげていたのであたろう。 二人の詩がいまもよくも読まれているし、強く感動しているのも、染み込まれている求道という生命の実像が、言語表現として強くて激しく炎をふいている点で大切なのである。 そして、この二人の詩は人間の内在されている精神宇宙、超越に向かう魂の表現を、かつてなかった表出の方式に、日本人の宗教的な心性についても深く考えさせる内容を、日本の詩の中に知らせたとしたことになるといえるのであろう。

Ⅰ. 들어가면서

Ⅱ. 重吉와 賢治의 신앙관계

Ⅲ. 八木重吉의 시세계

Ⅳ. 宮沢賢治의 시세계

Ⅴ. 마치면서

参考文献

日文抄錄

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