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학술저널

芭蕉에 있어서 「風雅의 誠」의 世界

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松尾芭蕉(1644~1694)は江戸時代の俳人であり、また標泊の詩人といわれる。芭蕉にとって旅の意識やその意義は、『笈の小文』や『奥の細道』に記されているところが知られているが、本稿では芭蕉の作品『笈の小文』の中にあらわれている荘子と芭蕉に於ける「不易流行論」と「風雅の誠」との思想関係を中心とし、芭蕉の文学と生涯に及ぼした風雅の世界を考察した。 芭蕉が、俳諧作者として活躍した時代は、近世の前期、十七世紀の後半、寛門3年(1663)前後から、元禄7年(1694)までのほぼ30年間ということになる。そしてこの30年間の間に、芭蕉の俳諧文学は、滑稽文学から、最も人間的な感性に富んだ新たな文学へと、変貌を遂げたことになるのである。芭蕉の変貌というのは、貞門ㆍ談林のひたすら滑稽文学を目指していた俳諧が、人間味に溢れた新しい芭蕉独自の俳諧文学の世界を現出させたということである。 芭蕉は独自的な文学世界を開くまでには、数多くの古典や学問、様々な宗教および思想との触れ合いを通じて自己特有の世界を築き上げるようになったのである。特に、その中で著しく注目を引くのが荘子思想の「不易流行論」である。本稿で扱う「不易流行論」は、芭蕉あるいは蕉風俳諧の根本精神にかかわる理論として位置つけられるべきものである。芭蕉と荘子との思想の影響については、既に多くの先学によって指摘されている。芭蕉の考え方には荘子が最も深く大きな影響を与えたことはよく知られているが、本稿では「不易流行論」と芭蕉の「風雅の誠」を中心として考察してゆくことになる。 「不易」は、和歌以来の普遍性を志向する理念であり、「流行」は、俳諧性を追求する新しみにかかわる理念である。「不易」と「流行」の根源とされている「風雅の誠」は、俳諧を伝統的な文学に比肩し得るものにまで高めようとして芭蕉の唱えたのが、「風雅の誠」である。これは、また単に観念的に理念のみを述べているのではなく、これまでの旅の体験から自然造化に身をもって帰したところからの「風雅の道」が責める吾が芭蕉俳諧の中に潜在力として幅広く散在している。そして西行を尊敬し、西行の和歌の道で歩んだものを芭蕉は俳諧の道で実践したのである。 芭蕉は、俳諧が俳諧固有の文学として伝統文学に肩を並べて存立していくために具体的な方法として生活上の言語、いわゆる俗語を積極的に俳諧の言葉として、新たる詩的言語の開拓と「風雅の誠」の道を絶えざる探究に努めるともに、貞門ㆍ談林の「滑稽」を芭蕉的詩的俳諧の世界に大転煥されることで高めで評価されている。

〈要旨〉

Ⅰ. 머릿말

Ⅱ. 「不易流行」

Ⅲ. 「風雅의 誠」

Ⅳ. 芭蕉와 자연

Ⅴ. 芭蕉와 여행

Ⅵ. 맺음말

【参考文献】

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