この論文は、札差と旗本ㆍ御家人の金銭貸借関係を中心に、江戸における町人金融の実体について論じたものである。札差の経済的な身分が象徴するように、江戸時代の武士階級は経済的に没落していき、商人を中心とする町人階級の立場は堅固なものとなったことが分かる。これは、江戸時代という平和な時期をむかえ、武士を中心に維持されてきた中世の封建制度が近世の商業制度の定着していく過程で徐々に崩壊していったことを知ることができる。 大坂における大名と蔵元ㆍ掛屋の金銭貸借関係は、江戸における旗本ㆍ御家人の関係と類似している。しかし、大坂では棄捐令は出されていないし、貸出金を回収できないといった事態も生じなかった。このように、札差に対して江戸幕府が特段の措置を取ったのは、幕府の直属の武士であった旗本ㆍ御家人を保護しすぎたからである。江戸の札差は栄華を極めたが、大坂の蔵元と掛屋はほとんどが両替屋出身で、簡素な生活をし、財産を浪費したり、豪華な生活を控えた。このように、江戸の札差と大坂の掛屋の生き方は異なっていた。 これは、江戸が主に消費を中心とした地域であったが、一方大坂は天下の台所と呼ばれるほど商業が発達した地域であったことも考慮する必要がある。すなわち、毎日が誠実でなければ生き残ることができない地域であったのである。札差が江戸縛の終焉とともに自然に淘汰したのに対し、大坂の掛屋は経済的な打撃を受けたことはあるものの、明治維新以後も銀行業者として活躍し、日本の経済発展に大きく寄与したこともある。これは、大坂の掛屋が江戸の札差よりも全般的に経営が堅実で、あり、主な顧客が江戸幕府ではなく、一般大名であったことも大きく作用していると言える。
〈要旨〉
서론
본론
결론
【참고문헌】
(0)
(0)