本稿では、西行の『山家集』に収録されている大峰修行の歌、十八首を取り上げて、峰中歌の詞書に記された行場の地名と西行の峰入りのルートについて推定してみた。また、西行の峰中歌の表現内容を分析し、西行の大峰修行における宗教的意味を探ってみた。なお、峰中歌の詞書に記された大峰行場の地名に関しては、筆者が2002年8月25日~9月3日まで直接現地に入って実地調査(吉野ㆍ大峰ㆍ熊野)を行い、修験道関係の諸史料との関連性をめぐって検討したものである。 そして本稿では、まず第一に西行の峰中歌の詞書に記された地名を比定する場合、近世以降に成立したとされる「大峰七十五靡」を用いるのは問題があると考え、『諸山縁起」所収の「大峰宿名百二十所」と『大峰秘所私聞書』など、主に中世以降成立の大峰史料に基づいて、現地比定を行った。 第二に、峰中歌に見える大峰行場の比定の結果を踏まえて、西行の峰入りのルートを推定してみた。西行が辿った順路は、熊野から入峰して吉野へ出る「順峰」(天台宗ㆍ聖護院本山派)と、吉野から入って熊野へ出る「逆峰」(真言宗ㆍ三宝院当山派)のいずれも特定できない不自然なコースである。だが、中世の修験道史料に基づき、西行は吉野から秋の峰入りを遂げた「逆峰」であること、また『山家集」の中-雑三首と、下-雑十六首は同一時期のものではなく、別々の峰入りの際に詠まれた作品であるとし、西行の大峰修行は少なくとも二度以上行ったと考えた。 第三に、西行の大峰修行の歌の表現内容を考察し、その宗教的意味を探ってみた。大峰は昔から現代に至るまで、修験道の根本道場であったから、西行の峰中歌が宗教的なものに結びつくのは至極当然と言えるが、こうした山岳修行の体験を通して、精神的にも宗教的にも深まりを見せ、その後の西行の作歌 態度に少なからず影響を与えたに相違ない。
〈要旨〉
1. はじめに
2. 『山家集』に見える大峰行場の比定
3. 西行の大峰入りのルート
4. 大峰修行の歌にみる宗敎性
5. おわりに
【参考文献】
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