학술저널
本稿では『玄鶴山房』における玄鶴の「浅ましい」とかんじる部分に注目して、その問題点およびそれに対する批判も付加えた。ありふれた家庭悲劇を描きながら、日常性に潜む地獄を暗示し、生の本質的な悲劇性を告知する奥行きを備えることになった。一人の運命がおそろしいほど冷やかに客観され、必然を追ってされている。しかし、この作品の風景はあくまでも小説の縁取り、枠に過ぎないと言わざるをえない。つまり、「浅ましい」という言葉の生命力が感じられず、ただ、心理によって空白化した謎のようなものを見ていたのではないか。芥川はこの作品の中で、自己の発見した人間の不幸をただ、技術的にのみ処理したのではないか。
〈要旨〉
Ⅰ. はじめに
Ⅱ. 問題提起
Ⅲ. 〈浅ましい〉に至るプロセス
Ⅳ. 〈浅ましい〉とからんでの問題点
Ⅴ. むすびに
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