학술저널
俳句(하이쿠)を主として木の額(나무 액자)に書いて寺社(사원과 신사)に奉納したのが、俳額(하이가쿠)である。俳額は17世紀の終り頃に奉納されるようになり、19世紀の初めには多いに流行した。ところが俳額の存在は忘れられてしまい、現在は俳句の専門家でも知らないようになってしまった。本稿は俳額の全体像を論ヒた論文としては、最初の論文である。俳額の淵源が法楽(호라쿠)として寺社に和歌を奉納したことや、絵馬(에마)にあると推定した。俳額の研究史を概観し、月並俳諧(쓰키나미 하이카이)の研究が俳額の研究に寄与したことも述べた。現存する最古の俳額を探索し、石川県の金劒宮(긴켄구)の元禄2年(1689)の俳額が最古であろうと判断した。 俳額の分布を北端と南端、それに大都市で調べた。北海道(홋카이도)では礼文島(레분토)、利尻島(리시리토)という日本の領土のほとんど北端にも残っていることを紹介した。これに対して九州(규슈)は意外に残っていないことを論じた。京都(교토)、江戸(도쿄)、大坂(오사카)の三都は多くの俳額が存在したはずにもかかわらず、ほとんど残っていないことを述べた。名古屋(나고야)では割合に多く残っていることを紹介した。
〈要旨〉
初めに
2. これまでの俳額研究
3. 最古の俳額
4. 北端、南端の俳額
5. 三都と名古屋の俳額
6. 結論
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