日本中世の南北朝時代を舞台にした軍記物語『太平記』は、近世初期においては『理尽鈔』を通して広く受容されていた。『理尽鈔 は』太平記 の描く合戦や人物などについて論評した書物で、当初は兵学者や大名といった武士階級の人々によって広く読まれていたが、その後次第に大衆のレベルでも講釈の一形態である『太平記読み』の形で受容されるようになる。この『理尽鈔』が理想的な為政者のモデルとしている人物が武将楠正成であり、正成とその一族に関する伝説は近世期を通して大衆に人気を博していた。 『理尽鈔』の正成伝説においては、『太平記』原典には見られない人物たちが登場して活躍を見せるが、本稿では『理尽鈔』が創り出した正成像の造形に関わる主要な人物の一人である『泣男』杉本佐兵衛に注目し、周辺人物の活躍が正成伝説に豊富な物語性を与えていく過程を、『理尽鈔』をはじめとする『太平記評判』を中心に考察する。 『理尽鈔』の『泣男』譚は、『泣く』能力など取るに足らないという理由で周囲の人々が『泣芸』を軽視する中で、どれほどつまらなく見える技能であっても必ず役に立つことがあると評価して『泣男』を登用した正成の人材登用術の妙を強調するエピソードの一つである。このように、楠正成に纏わる周辺人物の物語までも具体的に提示することで、英雄としての正成の活躍をより信憑性の伴ったものとして作り上げるのが『理尽鈔』の一つの特徴であるが、この『泣男』譚は以後の近世の文芸作品の中でも楠正成の享受に付随する形で受容されることになる。 楠正成という英雄の物語が語られていく中では、智仁勇三徳を兼備した英雄としての資質を裏付けるエピソードが必要となるが、『理尽鈔』は『泣男』譚という異伝‧ 異説を設けることで、『太平記』において律僧たちを利用して敵を欺いた智将としての正成像に、人材登用にも長けた指導者としての正成のイメージを肉付けすることができたのである。
Abstract
Ⅰ.はじめに
Ⅱ.『太平記評判秘伝理尽鈔』と指導者としての楠正成像
Ⅲ.『理尽鈔』における『泣男』譚の生成過程
Ⅳ.『太平記評判』類における『泣男』譚
Ⅴ.おわりに
참고문헌
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