戦前の日本で少くない在日朝鮮人たちが抵抗的な社会運動に献身した。これは厳然たる事実であるし, 彼らの歴史をなす一側面である。したがって, それらの事実をありのまま記録し, 積極的にその意義を分析する必要がある。 本稿は, 1930年代前半の日本でもっとも急進的な労働組合であった日本労働組合全国協議会(以下, 「全協」と略す)と在日朝鮮人労働者の関係を究明する一環で, 名古屋地方の運動を中心に考察するものである。1929年2月, 名古屋に住む朝鮮人有志たちの尽力でによって民族運動団体の新幹会名古屋支会が設立された。そして同年10月, 新幹会名古屋支会のリーダーによって当該地域で最初の朝鮮人労働運動団体である名古屋朝鮮労組が創立された。しかし, 既に当時は日本での朝鮮人労働運動を代表する存在である在日本朝鮮労働総同盟(以下, 「在日労総」と略す)のリーダーたちが傘下の団体を日本人労組「全協」へ合流させ, その中で産業別の組合に再編し, 運動を持続させるべきという方針転換を唱えていた。名古屋朝鮮労組はそういう転換の時流に沿って「在日労総」の運動方針にしたがう勢力が主導権を握り, 愛知朝鮮労組と改名してから, 1929年12月14日に「全協」への合流を決定すべく大阪で開かれた「在日労総」の全国代表者大会に愛知県の代表として参加した。 1930年から愛知朝鮮労組の組合員は名古屋地域の「全協」系団体に加盟して, 名古屋と中部地方に住む朝鮮人労働者のために失業反対運動, 未払い賃金の払い戻し, 各種の記念日運動(国恥日を含む)などで一定の役割をした。しかし1930年代前半, 日本警察は各地の「全協」をはじめ左派運動団体に対して「治安維持法違反」の疑いがあるという名目で弾圧を続けた。名古屋の「全協」系団体の朝鮮人活動家たちは日本人と協力し, あるいは自力で弾圧で崩れかかった組織を再建しようと奔走した。そのような弾圧と再建を繰り返す状況の中で「全協」は失業問題, 労働現場や借家問題など朝鮮人労働者の日常的な生活問題を対処する余力がなくなってしまった。 特高警察が「全協」を弾圧する目的はその朝•日活動家たちを治安維持法にかけて組織的な活動ができないようにして, 傘下組合に集まっていた日本人及び朝鮮人労働者たちを解散させることであった。1934年2月, 愛知県全体で敢行された警察の弾圧によって名古屋地域で「全協」系の組織は完全に崩れた。しかし, 1930年から約4年の間名古屋および中部地方で行われた「全協」系の運動の中で朝鮮人活動家たちの活躍は重要な位置を占めていたことが確認できる。彼らは「全協」を維持することによって差別的な現実に抵抗しようとしたのである。 The Nagoya branch of Singanhoe(新幹會), which was established by Korean activists living in Nagoya in February, 1929, made a great contribution in building the first Korean labor union in this area in October, 1929, called Nagoya Korean Labor Union. However, the representatives of the Federation of Korean Labor Union in Japan, Jaeilnochong(在日勞總), were already discussing the way of dissolution of Jaeilnochong and the affiliated organizations to reorganize themselves as the members of the National Council of Japanese Labor Unions (Chonhyup, 全協). In this drastic changes, the leaders of Nagoya Korean Labor Union took the initiative according to the Jaeilnochong’s new policy. On December 1, Nagoya Korean Labor Union transformed into Aichi Korean Labor Union and the union sent their delegation to the national meeting of Jaeilnochong held in Osaka on December 14. In the meeting, the attendees finally decided on the policy to join Chonhyup organizations. Since 1930, the members of Aichi Korean Labor U
Ⅰ. 머리말
Ⅱ. 1920年代 後半의 日本 勞動運動과 ‘在日 勞總
Ⅲ. 나고야 居住 韓人의 生活과 勞動運動 擡頭
Ⅳ. 나고야 지역 ‘全協’係 團體의 發展과 韓人 勞組員의 役割
Ⅴ. 맺음말
(0)
(0)