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학술저널

1920년 전후 일본 문학자의 조선 여행

Modern Japanese Writers’ Travel to Chosun During in 1920 off and on

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本稿は1918年から1924年の間に朝鮮を旅した三人の日本の文学者、谷崎潤一郎·木下杢太郎·田山花袋の紀行文に表われる朝鮮像と交錯する自己意識について考察した。朝鮮に渡って新しい風物を眼の前にして日本古代を連想し、絵画のフレームに収める視線が三人の紀行文に表れている。藤島武二など朝鮮の風景を「絵巻物」として捉える先行する言説を踏まえた眼差しである。ところが三人の朝鮮を通じて自己を意識するプロセスは異なっている。まず、谷崎潤一郎は朝鮮の風景から平安朝の面影を見ているが、それは現地とかけ離れた空想の世界から生まれた。日本古代の生活様式にも共感を持っていない。それに対して田山花袋は朝鮮から日本の原風景を見いだしている。彼にとって「朝鮮らしい」朝鮮の風景は日本古代の生活様式に通じるものである。木下木太郎は日本の仏像などにおいて「日本的」の要素を求める和辻哲郎に異議を提起する。しかし、「処女」の性 格を朝鮮の芸術品に与え、日本のものには母性を持ち込み養育的な立場を確保する認識をもたらしている。このように彼らの朝鮮理解及び受容は客観的なものではなく、彼らが求める「朝鮮」像が投影されたものである。

1. 서 론

2‘공상’세계로서의 경성·평양

3.‘일본적’관념을 초월하는 시선

4.‘조선다움’과 일본 고대 양식

5. 결론

참고문헌

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