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KCI등재 학술저널

근대 일본 번역 창가의 문예적 성격

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19世紀末、日本の明治政府の最大の課題は、欧米列強の国家と肩を並べられる近代国民国家の体制を作り上げることであった。そのなかで、もっとも重要な長期課題の一つは教育であった。1872年、近代的学校制度を導入し学生を制定頒布し、全国に小学校と中学校を設置する。この学校の科目に唱歌が含まれていたが、教材も教師もないまま10年が過ぎた。アメリカ留学から帰国した伊沢修二により、音楽取締掛が設置され、本格的な音楽教育が始まる。この機関の最初の仕事は『小学唱歌集』の発刊であった。ここに収められた、曲のなかで、もともとジャンㆍジャックㆍルソーの曲があるが、それが今は「むずんでひらいて」と知られている「見わたせば」である。これは当時、伊沢の指揮下で文学者である柴田清煕と稲垣千穎により雅文体で完成された優雅な内容であった。本論文では、その歌詞を文芸のレベルでテクスト分析を行い、様々な特徴を指摘した。検討の結果、修辞的な面においても、韻律的な完成度なり、音声的な効果なり、相当の彫琢が成されたものであったことがわかった。明治時代初期の音楽教育に従事した文学者出身の音楽取調掛の作詞者たちは文体はもちろんのこと、それぞれの楽曲に合う情緒の表現と韻律などに気を使いながら歌詞を作っていた。彼らは、国民国家形成の時代にそのような形で、「国語」「国文学」「古学」の創出に献身したのである。

Abstract

Ⅰ. 들어가며

Ⅱ. 『소학창가집』 초편의 성립 과정

Ⅲ. 루소 작곡 「멀리 보니」의 수록

Ⅳ. 『고킨와카슈』와 『소학창가집』의 시점과 풍경

Ⅴ. 맺으며

참고문헌

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