本稿は、近代の戦争において 『太平記』の世界が武士道や軍神と結び付けられ、戦争に臨む人々の大義名分として認識されてゆく過程について論じたものである。 一つ目は、幕末の思想家である吉田松陰が楠兄弟の 「七誠滅賊」という最後の言葉に注目し、その精神から永久不変の忠の精神を見い出したことについて論じた。 二つ目は、日露戦争が勃発した後、武士道が流行したことに焦点を当て、その武士道が国民道徳であると主張されていることについて考察を行った。'武士道=国民道徳'という論理は、天皇に対する忠孝精神によって成り立ったもので、その精神を代表する人物として楠正成が取り上げられている。そして、このような言説は国民に武士道をもとにして行った戦争が正当なものであるという認識を植え付けていることを述べた。 三つ目は、日露戦争で部下のために戦死し、軍神に祭られるようになった広瀬武夫と橘周太を中心に、彼らが 『太平記』の世界と密接に関わってゆくことについて検討した。まず、広瀬武夫の場合、彼は様々な書物において吉田松陰の主張した 「七誠滅賊」を受け継いていることが語られている。また、橘周太に関しては楠正成の子孫であることが言われている。これらは軍神が己れを 『太平記』の世界に投影し、戦場で戦っていたことを示すためのものであったと判断される。そして、このような言説は国民をして軍神に、ひいては 『太平記』の世界に自らを投影させるための政治的な手法であることを明らかにした。
Abstract
Ⅰ. 들어가며
Ⅱ. 요시다 쇼인의 '칠생설'과 『다이헤이키』의 세계
Ⅲ. 무사도의 유행과 『다이헤이키』의 세계
Ⅳ. 군신(軍神)과 『다이헤이키』의 세계
Ⅴ. 마치며
참고문헌
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