학술저널
本稿は1930年代前後、資本主義の専有物であった大衆映画が見逃した小型映画と移動映画館(移動映写)を中心としたプロキノについて考察した。巨大資本が必要条件であった映画産業に対して小型撮影機を利用した映画製作に挑戦し、消費者に過ぎなかった人々が生産者にもなれることを証明したのがプロキノであった。たとえば、プロキノが製作したフィルムの中で現在確認できる5本のうちの1本である 全線―東京市電争議は、カリカチュアや新聞の見出しをモンタージュすることで簡単に製作できるものであったことを確認した。経済的に困難な状況で製作活動を行ったプロキノを念頭に置いた上で製作されたものであった。 またプロキノが商業映画から排除されてきた農民ㆍ朝鮮人を観客の対象にしたことは、移動映画館から生まれたことであり、地域や民族の差異を乗り越えて同じ労働者として連帯感を与えたのであろう。スターシステムと映画館が代表した映画界に対するプロキノの挑戦(小型映画、移動映画館)は、より多くの人々に近づけることが可能な映画の力を確認した。
Abstract
Ⅰ. 머리말
Ⅱ. 소형영화
Ⅲ. 이동영화관
Ⅳ. 맺음말
참고문헌
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