本稿は、近代における文学作品に現われる涙の譬えを調べたのだが、その結果、次のような用法の見られることが明らかになった。 まず、直喩か隠喩かについて見ると、何に譬えるかによっても異るが、全般的に見ると隠喩的な譬えが好まれていた。直喩の場合は多様な文体が見られたが、文語文や言文一致の未完成の影響のためか「如し」の形が多かった。隠喩の場合は「涙の∼」が大部分で、「∼の涙」は非常に少なかった。その他に、特別な形式のない隠喩もかなりあった。 次に何に譬えられたのかを見ると、殆んどが自然と関係のあるものであった。中でも水と関係のある地形が多かったことが特徴的である。地形では「滝」が一般的に用いられていて、「泉ㆍ谷ㆍ川ㆍ海」などの表現も好まれていた。また、自然のうち「降水ㆍ降雨」関係のものでは、「露」と「雨」が一般的に用いられていたと思われる。 最後に大げさなレトリックの問題について見ると、譬える内容によって異ってくることがわかる。簡単にいえば、「露ㆍ玉ㆍ種ㆍ豆」のようなものは目許あたりにある涙の様子を表していて大げさの度合いは殆んどないといっていい反面、「雨ㆍ霰ㆍ滝ㆍ川ㆍ海」などのような譬えは、涙を流している様子や量が甚だしいことを物語っているのである。 このように、涙を他の言葉に換えて表現することによって、登場人物の心情、あるいは作家の感情移入の様子が明白になっていくことがわかったように思われる。しかし、本稿では近代文学作品における用例のみを対象に考察したので、これを契機として時代的変遷についての考察に歩を進める必要性を感じている次第である。
Ⅰ. はじめに
Ⅱ. 分析結果
Ⅲ. おわりに
참고문헌
Abstract
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