本稿では、賤称廃止令の発布を前後にして登場する穢多ㆍ非人関連の談論を、近代日本の国民形成という観点から再構成したものである。これは、近代日本の小数者として差別をいけてきた穢多ㆍ非人出身の「部落民」に明治維新がどのような意味であったのか探ってみる作業でもあった。その結果は、次のように纏めることができる。 一つ、幕末の対外危機という外的環境の変化の中で、支配層において穢多は「日本人」の資格をえるためには神社参拝という穢れの祓いを必ずしなければならない差別的な存在として認識された反面、穢多自らは、穢れの祓いという条件と関係なく「国恩」に報いるために「先鋒で死力」を尽くすことができる存在=「日本人」という自覚が出始めたのである。要するに、幕末の対外危機という環境の中で、穢多自らが誰よりも前に立って領土を守り、国恩に報いる国家レベルの行為こそ「穢多という二文字」廃止の重要な用件であることを認識するようになったのである。 二つ、王政復古以後にも、以前として穢れの祓いという条件が賤称廃止の前提として維持されていた。しかし、一方では、同じ人類にも関わらず、穢多ㆍ非人という存在をひとではないという取扱いするのは、天理にぐれるとともに、外国と交流する今日にそのまま放置することは國辱であるという国家主義的な論理を根拠にして賤称廃止が主張されるようになった。 三つ、実際に賤称廃止令が発布されてから、これに対する平民の抵抗が激化する中で、各県では穢多の穢れの祓いというパフォーマンスを行うことで反発する平民を説得しようとした。国家的レベルでは、士民平等という「文明一新」に基づいて賤称廃止令が発布されたが、各地域でこの法令を執行するためには、穢れの祓いという神道的行為からその正当性を主張するしかなかったのである。これは身分的に百姓と異なった穢多が百姓と同一の「皇国人民」となるためには、「文明一新」を天皇に収斂し、これを「一君萬民」というスローガンで具体化する王政復古イデオロギーが必修的であったのを示している。 結論的に、明治天皇の名でが発布された賤称廃止令という存在は、部落民において明治維新が、一方では自分を束縛してきた身分からの解放を、他方では新たに創出された天皇制という呪術への束縛を意味することであった。
Ⅰ. 들어가며
Ⅱ. 바쿠후 말기의 에타 인식
Ⅲ. 왕정복고 이후의 에타 인식
Ⅳ. 나오며 : 천칭폐지령이 만들어 낸 주술
참고문헌
Abstract
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