本研究の目的は三島由紀夫の映画体験をを中心に、作者や作品論ではなく、徹底的に映画人としての三島を究明することにある。青年時代から映画が好きだった彼は、1960年増村保造監督の<からっ風野郎>で主演俳優として映画に関係を結んだ以来、その映画の体験を基にして、自ら直接企画から台本、監督、主役を演じた映画<憂国>を1966年フランスの映画祭で公開された。この作品は当時短編映画の映画祭としては世界でもっとも高い水準であったツールの国際短編映画際にまで進出された。そこで日本の伝統芸能である能の様式を使いこなした映画<憂国>は烈々たる反応を受けることになった。三島はこの映画祭に出品した映画<憂国>のことをお金で買えない価値として嬉しく語っている。そして死ぬ前10年余りの間、スポーツを通した身体鍛練と映画活動により、彼は固定化されつつある自分自身の精神の構造を切捨てようと意図したのを演技のオブジェ論を通じて表している。したがって三島の望みどおり、本研究によって三島の作品と死を通じて固定化ㆍ定形化されつつあった人間三島由紀夫の新しい面貌を探し出すことを期待する。
일본어요약
1. 머리말
2. 미시마의 영화인식
3. 제작, 감독으로의 저변 확대
4. 배우 미시마와 마스무라 감독
5. 결론
參考文獻
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