
本論は村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』と大江健三郎の『取り替え子』に共通して表れる「皮剥ぎ」のモチーフを分析することで、両作家の創作のなかの個人の体験と現実社会の問題がどのように結び付いているのかを考察したものである。大江健三郎は村上春樹の「コミットメント」に対する評価において、その比較の対象としてもっとも頻繁に言及される作家である。にもかかわらず作品の具体的な分析に基づいた、客観的な評価の根拠を提示した先行研究は少ない。論者は『ねじまき鳥クロニクル』に関する拙論のなかで、「皮剥ぎ」の場面が村上春樹固有のモチーフではなく、ギリシャ神話や現代の映画でも頻繁に表れる普遍的なモチーフであることを考察した。本論では『取り替え子』に表れる「皮剥ぎ」の場面も、やはり日本神話の天岩戸物語を意識的に援用した普遍的なモチーフであることを分析した。またそのような分析を通して明らかになった大江の政治的視座の両義性を指摘することで、両作家の「コミットメント」に関する相対的な比較、評価を試みた。
일본어요약
1. 들어가며
2. 『取り替え子』에 나타나는 「皮剥ぎ」의 모티프
3. 『ねじまき鳥クロニクル』에 있어서의 「皮剥ぎ」의 모티프
4. 『取り替え子』와 일본신화와의 관련성
5. 마치며
참고문헌
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