本論文は、日帝强占期末期に作られた韓国最初の観光雑誌である『観光朝鮮』の戦略性を探究することがその目的である。この雑誌の編纂者たちは、朝鮮と朝鮮人、そして朝鮮に居住している日本人に新しい存在感を与えようとした。彼らは朝鮮を新文化の創造地として展示しようとした。それまでの観光地としての朝鮮の価値は植民地的な劣等性を表象する空間としてであった。即ち朝鮮は魅力のない観光地であり、列島の日本人は朝鮮よりは大陸のほうに注目をあてていた。しかし当時朝鮮には80万人に近い日本人が住んでいた。この人たちは故郷の日本を離れて朝鮮で生きるべき理由を見つけなければならない存在であった。ゆえに観光自体が難しくなった戦争末期の状況の中で『観光朝鮮』は誕生するようになった。そして雑誌構成の主体は朝鮮にすんでいる'人'に焦点をあてている。ここで発信しているのは、'朝鮮は文化的に劣っていない'ことであった。そして'朝鮮は新しくて楽しい空間'であり、むしろ、'日本にまさる高級な文化空間'であることを強調した。『観光朝鮮』は、朝鮮を紹介する場のようにみえるが、実は'朝鮮は日本人の空間'であることを再確認させる媒介となった。本論では『観光朝鮮』の編集主体が'日本人の空間'として再構築するため利用した要素の中で女性と京城について考察している。
일본어요약
1. 서론
2. 1930년대 말 일본의 관광업계와 재조일본인
3. 여성을 앞세운 『관광조선』의 전략성
4. '경성인'의 공간으로서 경성
5. 결론
참고문헌
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