鮎川の習作期は<国家の領土拡大のための侵略戦争の開始>という政治ㆍ国家レベル、<詩の新しい領域の開拓>という文学ㆍ詩壇レベル、そして、早稲田高等学院入学による青春時代の到来という個人レベル、での三つの出来事とともに出発した。當時、西洋と日本では、文学の不安、特に詩の危機を迎えていた。その原因については、雑誌『新領土』に掲載された一連の評論を通じて垣間見ることができる。文学の大衆化と商業化による知識人の文学離れと遊戯化、「目先きばかり」の戦争文学の氾濫、「世界的標準」を教示できる批評家の不在、ラジオ放送と映画というニューメディアの登場、そして、文学における社会性の喪失があげられる。そこで、戦争という外部世界の変貌を、自作の中に採り入れることで文学の社会性回復を試みていたと思われる。その時、トマスㆍマンの『魔の山』の主人公が結核療養所から参戦のため、現実に連れ戻されて死んで行ったのは、自分と同じ世代の運命を象徴していることに、鮎川は気づいていた。そこから、彼の「遺言執行人」としての自己定位が始まったのである。
일본어요약
1. 들어가며
2. 시의 새 영토 개척의 필요성
3. 현대문학의 불안 요인
4. 출판 상업주의와 현대문학
5. 전쟁이라는 「죽음의 계곡」
참고문헌
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