本稿では、1911年、間島に設立された<光成中学校>にて、音楽教科書として1914年7月に編纂された『最新唱歌集』の意義と構成を分析し、その唱歌らが具体的にどういう曲であり、日本唱歌とどういう関わりを持つかを顧みたいと思う。それから日本唱歌との関わりを考察するに当たって、1910年に日帝の統制下で編纂された『普通教育唱歌集』をその比較テキストと設定し、その中でどの唱歌らが植民地初期の愛国ㆍ独立唱歌の集大成と言える『最新唱歌集』に再収録され、それらの曲調がどのように借用されたかを具体的に比較考察しようとした。その結果、『普通教育唱歌集』の15曲の唱歌が、『最新唱歌集』に再収録されたり、その曲調が借用されたりしていたことが確認できた。そういうことで、『最新唱歌集』の152曲の内、合計27曲の唱歌(約18%)が『普通教育唱歌集』の影響を受けたと言える。本研究を通して、もう一つ確認できたことは、日本の体表的な軍歌である「勇敢なる水兵」や「敵は幾万」、儀式唱歌である「紀元節」などが、朝鮮民族の愛国ㆍ独立精神涵養のための歌詞を持つ唱歌らに借用されていたことである。以上の結果から言えるのは、日帝が朝鮮人を植民化するために教育していた唱歌を、愛国ㆍ独立精神を涵養するための唱歌として利用したことを、朝鮮民族の反撃の知恵であったという事である。
일본어요약
1. 들어가며
2. 『최신창가집』의 의의와 구성
3. 『최신창가집』과 『보통교육창가집』의 상관성
4. 결론
참고문헌
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