東アジアにおける近代医学は二つのルートで拡散された。一つは近代植民地主義の展開のなかで宗主国が植民地に対しておこなう公的な医療を指し、帝国医療と呼ばれる。もう一つは植民地行政に色濃く縁取られた帝国医療とは別に、キリスト教諸派のミッションによる宣教医療である。本稿は解剖学教科書の翻訳問題を取り上げ、宣教医療と帝国医療のあり方を明らかにすることを目標とする。まず、近代日本における解剖学教科書の翻訳史や医学教育史のなかで今田束の『実用解剖学』を位置付けた。また、今田束の『実用解剖学』が朝鮮に受け入れられ、宣教医療のルートである済衆院と帝国医療のルートである大韓医院で翻訳される過程を考察した。その結果、最初済衆院は英語の医学書を韓国語で翻訳しようと試みたが、医学用語の翻訳に困り、日本語の医学書を参考にしたことが明らかになった。医学用語の翻訳の困難さ、そして朝鮮人助手の成長によって宣教医療のルートである済衆院も日本経由の解剖学知識を教育することになったのである。この例が示すように、東アジアにおける近代的知の形成に漢字文化圈という翻訳ルートが重要な要因として作用したことが浮彫りになった。
일본어요약
1. 시작하며
2. 19세기 후반 일본의 의학 교육과 해부학서 번역
3. 실제 해부 지식의 집적(集積)-이마다 쓰카누의 『実用解剖学』(1887)의 등장
4. 선교의료와 제국의료의 루트-조선의 두 권의 해부학 번역서
5. 한자문화권에서 근대 의학 지식의 번역방법
6. 맺음말
참고문헌
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