鎌倉時代初期の説話集である『宇治拾遺物語』は量的には『今昔物語集』に比べ約二割程度に過ぎないが、質的バラエチィーは目をみはるものがある。本稿は天竺説話を中心として『宇治拾遺物語』の特質を仏教認識もしくは仏教思想的観点から檢討してみたものである。檢討してみた結果、『宇治拾遺物語』は『三宝絵』と『今昔物語集』に顕著な三宝や菩薩道など,あるいは仏伝などにほとんど関心をもっていないことがわかる。したがって、悟りや救いのような視線が『宇治拾遺物語』にはほとんど見られない。『宇治拾遺物語』の主たる関心は自国の日本説話にあり、天竺説話と中国説話は後半部に集中的に収められている。これは単なる三国関連説話の集めという説話集の伝統を継ぐためのものとみられ、既存の説話集と違って『宇治拾遺物語』は三国説話に関する意識が仏教思想を通してではなく、説話自体の興味もしくは好奇心に起因していることが大きな特徴として指摘でき、これが『宇治拾遺物語』の脱仏教化の傾向の一番の原因と言えよう。要するに單に三国関連説話の集めという説話集の伝統にしたがっただけであって,その編纂意識に佛教思想側面の悟りとか救いのようなものがほとんどなかったのである。
일본어요약
1. 들어가며
2. 『우지슈이』의 불교설화와 세속설화
3. 인도 불교설화
4. 인도 세속설화
5. 나가며
참고문헌
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