『暁月夜』(1893年2月)の主人公ㆍ一重は、恋は「浅ましもの、果敢なきもの」などと言いながら、恋そのものを否定し、恋する男性への拒絶をはかる。このような恋愛観は、一葉の「厭ふ恋」(1893年7月5日の日記「恋ハ」の記事)に一脈相通する。この「厭ふ恋」は、小説の師ㆍ半井桃水との「悲恋」の経験から生み出されたものであって、これは「いとしさ」と「いとわしさ」という矛盾する心情やその状況などの一葉独自のものである。もちろん、この発想は、和歌から出たものである。しかし、和歌の「厭恋」は、類型的であって「人に厭われる恋」のみ詠まれており、相手を拒絶する恋や状況などを詠むのはタブー視された。つまり、和歌の恋部を小説として並べているような形は初期作品と変わりはないのだが、『暁月夜』のように、主人公に処した境遇を宿命として受け入れ、恋の成就を否定する理由を提示して読者に説得力を持とうとしたことは、新しい恋愛の形の展開であるといえよう。その恋の成就を否定する心情は、一葉が恋の極致として結論した 「厭ふ恋」の状況を受け入れている。『暁月夜』に至ってはじめて和歌の題詠らしいもの、王朝物語らしいものから一歩離れて一葉のみの恋愛を描こうした。これは『暁月夜』が「厭ふ恋」の芽生えとしての作品である意見に符合する点でもある。一葉が伝統的な和歌を踏まえながらも、その世界の「恋愛」を越え、小説で表現したことから、「厭ふ恋」は一葉のオリジナル恋愛観であるといえよう。
일어요약
1. 序論
2. 「厭ふ恋」の芽生え
3. 結論
参考文献
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