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학술저널

조선통신사의 '교토체재'와 '조선인가도'

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朝鮮通信使に関する多様な研究が進む中で、従来比較の対象としていなかったオランダ商館長の江戸参府旅行との比較が新しい観点をもたらすという意味で有意義であると考える。 本稿では12回にわたる朝鮮通信使のうち7回目に當たる1682年朝鮮通信使を取り上げる。訳官洪寓済の『東槎録』と漢学担當から訳官となった金指南の『東槎日録』が残っている。同じ綱吉の統治下であった、それから9年後の1691年と92年の春、江戸を参府したオランダ商館の医師であるケンペルが同じコースで江戸を訪問し詳しい記録を残している。1682年の通信使の旅行とは10年ほどの間隔であるので、この両資料を補完しながら読むとお互いの関心や内容など、通信使の旅行の実像に近づきやすい。 従来、その関連で読むことのなかった両資料を比較することによって江戸幕府の異国への政治的対応の違いや日本のについて議論をすすめたい。さらにその旅行における共通点と違いについて綿密に検討することで旅行における'個人'を発見し、当時の日本の姿をも明確にしていきたい。

일어요약

1. 문제제기

2. 국서 교환여행과 통상허가여행

3. 조선통신사 일행과 네덜란드 상관장 일행의 '교토체재'

4. '조선인 가도'

결론

참고문헌

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