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학술저널

노래를 둘러싼 공감의 정치: '조선인위안부'의 현재에 대한 일고찰

Politics of Empathy around Song: A Study in the Current Issue of 'Korean Comfort Women'

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本稿は1960年代後半の日本を時代的な背景として、在日朝鮮人と朝鮮人慰安婦の歴史的な意味を問うっている映画『バッチギ!』と『日本春歌考』に注目し、両映画の中で中心的な役割を果たしている歌である「イムジン河」と 「満鉄小唄」の相違を明確にすることで、約40年の時間差で描かれる在日朝鮮人と朝鮮人慰安婦の現在について考察したものである。「満鉄小唄」と「イムジン河」は1960年代から70年代の日本で大衆化されていた歌であるが、両映画の中で歌が消費される方式とその性格には大きな差があるといえる。 映画『バッチギ!』と『日本春歌考』では歌を通じて映画の主題である朝鮮人慰安婦と在日朝鮮人を浮彫りにするが、「満鉄小唄」が在日女性の身体を通して彼女の独奏によってのみ唄われるのに対して、「イムジン河」は観客を含み人々が共に唄う構図になっている。このように『日本春歌考』のなかの「満鉄小唄」は映画のなかではもちろん、観客からも疎外されている。また、在日女性と日本人男性の恋愛を通して'和解'を語る映画『バッチギ!』で「イムジン河」が民族を越えた愛=恋愛として合奏されることで、朝鮮人慰安婦の歌を唯一體現できる主体と想定された在日女性=共同体からも「満鉄小唄」は再び排除されているといえる。朝鮮人慰安婦の歌として誰とも共感=共有されず唄われた「満鉄小唄」の今日にいたる疎外は、男性主体のジェンダ-を媒介とする'和解'の論理がもつ問題点と民族談論の枠のなかで再び疎外される朝鮮人慰安婦の現在を照らし出す。在日女性金田の「満鉄小唄」は、現在誰によって唄われ、誰がこの歌を共に唄っているのか。もしかしたら1960年代後半のそのときのように、金田は依然として一人で「満鉄小唄」を唄っているのではないだろうか。

일어초록

1. 들어가기

2. 노래 「만철소곡」과 「임진강」

3. 영화 『박치기』와 '따라 부르기'라는 공감의 정치

4. 조선인위안부 표상방식과 영화 『박치기』속 '화해'의 구도

5. 나가기

참고문헌

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