李良枝『由煕』論
A Theory on Lee-Yangji "YUHI" -From Between The Political And Cultural Change to the Viewpoint-
- 일본어문학회
- 일본어문학
- 日本語文學 第70輯
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2015.08341 - 362 (22 pages)
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本論は、李良枝が随筆「私にとっての母国と日本」で「私と母国との出会 いでの一つの段階的な締め括りとして、さらには、新たな中心線の設定を願い、それを追求するために」『由煕』(「群像」1988ㆍ11)を書き上げたと明らかにしているように、『由煕』にたどり着くまでの李良枝の民族的アイデンティティの推移を考察することが目的である。 従来は、李良枝の民族的アイデンティティが問われる際、伽倻琴や大笒 などの伝統舞踊といった「文化的」なものに絞られていた。しかし李良枝は、1975年、早稲田大学に入学し韓国にも伽倻琴があることを知り、「文化的」なものを通して民族的アイデンティティを探し求めると同時に、「丸正事件」の無実を訴えるハンガーストライキつまり、「政治的」なものを通しても民族的アイデンティティについて考えていたのではないか。この時期は、李良枝における民族的アイデンティティは、「政治的」なものと「文化的」なものの間に揺れ動いていたと言えよう。「政治的」なものをやり抜いたからこそ、次は「文化的」なものを通して民族的アイデンティティに向き合うと決めた、李良枝は、母国の韓国に旅立つのである。 李良枝の留学物語は、『ナビㆍタリョン』(「群像」1982ㆍ11)と『刻』(「群像」 1984ㆍ8)そして『由煕』(「群像」1988ㆍ11)の三部作に位置づけ論じられることが多かった。ところが、『由煕』に至って前の2作とは異なり、伽倻琴から大笒へ、そして韓国人側から見た「在日韓国人」の心境を描くという視点の変化を試みる。この2つの技法を読み解くことによって、李良枝が私たちに提示しようとするものを明らかにしたい。
일어요약
1. はじめにー「政治的」なものから「文化的」なものへ
2. 問題提起
3. 『由熙』における語り手「私」と由熙
4. 『由熙』における視点変化の意味
参考文献
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