内村鑑三(1861-1930)は日本において無教会の創始者として知られている。内村は西欧の物質文明に代表される外面的現象に満足せず西欧文明の精神的な基盤となるキリスト教思想を受容したという点で明治日本精神史の主軸となる人物である。しかし、この時期、内村の特徴的な現象は彼がキリスト教思想を受容したという点にとどまらず、それを主体的に受容して「日本的キリスト教」を確立したという点に、もっと大きな意義があると言えよう。明治知識人の中で内村のように西欧文明を主体的に受容したもう一人の知識人は、夏目漱石(1867-1916)である。漱石はイギリス留学を通して、日本の近代化が西欧文明の模倣に過ぎないという自覚を持つようになる。それだけではなく日本の近代化を批判し、主体的で自己本位的な内発的開花を力説した。こう見るとき、内村と漱石は西欧文明受容の過程で内発的な価値を強調したという点で共通している。そして、近代化の中で、特に彼らに共通的に見られるのが自己認識の問題である。まず、内村は離婚を機に罪意識の葛藤から自己克服の道を模索する中、徹底した自己破綻に至る。これは漱石が作品中に描く自己破綻とそんなに違うものではない。漱石はイギリス留学を通して自己本位の信念を持って生きることの大事さを認識して、日本に戻ってくるが、自己の中に自己を不幸にさせる要素があることに気付く。自己本位を強調すればするほど、エゴイズムの罪が現れる現実にぷつかり自己本位のジレンマに陥る。作品の中で描かれる主人公の内面のリアルな告白は内村のそれと同様、深い罪を自覚し、絶望するものである。 そして、このような自己を克服する段階で、内村は徹底して神の啓示を受け入れる。内村は唯一神の受容、ひいてキリストの贖いの信仰を基盤として全存在的に神を肯定する。このようにして自己克服を達成する。反面、漱石の場合、特に『こころ』の場合を考察するとき、乃木希典将軍の独立的な死に見習って先生は自殺する。漱石は内面の奥底で沸いてくる深い思想と独立精神をもって自殺した乃木将軍に心打たれた。しかし、自己抹殺の行為がどのようにして自己克服にまで至ることができるかという点は疑問である。
1. 들어가며
2. 자아(自我)로 가득찬 현대
3. 자기본위(自己本位)의 완성
4. 나오며
참고문헌
일어초록
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