本論文は1900年代から1945年までの政治の変化に伴う公民科の教育内容と教育方法の 変容を全体的に眺望することを目的とする。近代日本の公民科は、非正規の教育機関であ る実習補習学校から始まり、正規の教育機関である中学校で正式に成立した。また非正規 教育機関の青年学校で修身と統合される過程を経て、中学校では国民科のなかの修身に含 まれる姿で消滅した。公民科は、教育システムの中で最も弱い環である非正規教育機関か ら開始して成立と消滅の過程をへる特徴を示している。中学校公民科は修身と区別されて法 制経済との違いを現しながら性格を明らかにした。教育内容は既存の法と経済に加え、社会 の領域を追加し、さらに政治情勢を反映して立憲政治の政治教育を含められた。また、教 育の方法も知識中心から訓練と実践に重点を移した。国体明徵運動後の公民科では、国体 の視点と立憲政治の視点を対等に扱ったが、徐々に立憲政治のために国民養成の性格は 消えて国体ベースの臣民養成科目に変化された。最終的に近代日本の中学校公民科は時 代の変化を反映して、知識の教育 - 立憲政治教育 - 国体・臣民教育の方向と内容に変容 され、成立と消滅の過程を経ることになった。
Ⅰ. 서론
Ⅱ. 공민과의 탄생
Ⅲ. 「수신」과 다른 「공민」의 성립
Ⅳ. 공민과의 「수신」으로 편입
Ⅴ. 결론