唐代の科挙、特に進士科の試験は主に二段階、すなわち、地方予備試験としての府州試、そして每年二月に行われる本試験である省試(いわゆる禮部試)で選抜された。當時、府州試、特に京兆府試を首席で及第することは社会から注目されていた。それは、この京兆府試が遅くとも唐代後期には重要な地位を與えられていたためである。また、京兆府試の上位及第者には様々な「特権」があったが、それは試験官の判断で変更することが可能な、いわば慣習的なものであった。一方で、その他の地方における府試·州試にも多くの受験生が参加し、時には受験する場所を変えることもあった。その理由の一つには、受験生が禮部試及第を官界、文壇に影響力を持つ有力者に求めたことが挙げられる。 このため、府州試は様々な局面で詩歌と関わることになった。その最も直接的なものが府州試で出題された試帖詩である。それらについては、現存する作品の大半が北宋初期に編纂された_文苑英華_に収録されている。また、中晩唐にはあえて府州試で出題された作品であることを明示する作品も生まれた。これらの現象には、唐代、特に中晩唐における府州試で作られる作品への関心の高まりが反映されている。
一. はじめに
二. 府州試の首席及第
三. 京兆府試における「等第」
四. 地方の情況
五. 府州試における試帖詩
六. 結びにかえて
参考文献