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학술저널

朝鮮本 『夾注名賢十抄詩』の基礎的考察

『夾注名賢十抄詩』は、中唐ㆍ晩唐の詩人二十六家(劉再錫ㆍ白居易ㆍ?庭筠ㆍ張籍ㆍ章孝標ㆍ杜牧ㆍ李遠ㆍ許渾ㆍ雍陶ㆍ張祜ㆍ越?ㆍ馬戴ㆍ韋蟾ㆍ皮日休ㆍ杜荀鶴ㆍ曹唐ㆍ方干ㆍ李雄ㆍ?仁璧ㆍ韓琮ㆍ羅?ㆍ秦韜玉ㆍ羅隱ㆍ賣島ㆍ李山甫ㆍ李群玉)、新羅の詩人四家(在致遠ㆍ朴仁範ㆍ崔承祐ㆍ雀匡祐)あわせて三十家、各家十首の七言律詩すべて三百首を選?する『十抄詩』に注を施した朝鮮撰術書である。後述するごとく『夾注名賢十抄詩』には撰者の自序を有し、これによって神印宗(朝鮮密敎)の僧、子山の撰述であることが知られる。その子山「夾注名賢十抄詩序」に『本朝の前輩鉅儒、唐室群賢の全集に據り、各おの名詩十首を選び、凡て三百篇。命(な)づけ題して十抄詩と局す」とあって、『十抄詩』が朝鮮の學者によって唐人の別集から?出された名詩選であることが分かる。『十抄詩』は各?十五家を牧?するこ?本であるが、『夾注名賢十抄詩』は各?十家を收める三?本に改編しているに過ぎず、雨書の問で所牧作品の出入は見られない。 『十抄詩』は、?首の「十抄詩名氏目?」や、景泰三年(李朝朝鮮文宗二年、一四五二)刊本『夾注名賢十抄詩』の校者、?翠の跋にも「是の詩抄する者は東賢なり」とあり、子山「夾注名賢十抄詩序」に「本朝の前輩短儒」と記されるのみで、編者名は未詳であり、成立時期も推測に?らざるを得ない。しかしながら『十抄詩』は唐ㆍ新羅の末代より遠く隔たらない頃に編せられたと思しく、『夾注名賢十抄詩』も成立時期の確定は困難で‘あるが、朝鮮に唐ㆍ宋の舊本が富藏されていた時期に撰せられたと考えられ、中?文學および朝鮮漢文學の?究資料として極めて高い債値を有している。また我が園の大江維時『千載住句』は、唐詩の佚句や異文を傳えて貴重であるが、唐人のみならず新羅詩人の作を牧める點において『十抄詩』と同?であり、かつ共通する詩を選?する事例も見える。平安漢文學を東アジア漢字文化圈という廣い視野で考察する上においても『十抄詩』ㆍ『夾注名賢十抄詩』は貴重な資料を提供していよう。 しかし兩書は稀觀に屬するゆえあって、その?容の重要性が長らく?附かれないままであった。かつて高橋亨氏か李秉岐氏所藏の『夾注名賢十抄詩』を調査して『朝鮮』第二九三號(一九三九年一O月)に『崔致遠 夾注十抄詩一名‘名賢十?'を發表し、『夾注名賢十抄詩』のみに傳存する新羅詩人崔致遠の六首を紹介したのは先驅的な業績として注目に値する。1)ところが佚詩は崔致遠の作ばかりで、はなかった。唐人の作も多數存在することが、ようやく近年になって明らかになり、『十抄詩』および夾注名賢十抄詩』の極めて高い資料的價値が注目されるようになった。 兩書に『全唐詩』未收の詩を多數見出した最初の?究は、韓國の扈承喜氏『十抄詩』一考-『全唐詩』未收?作品を中心として(原副題『全唐詩』 미수록작품을 중심으로-(「季刊書誌學報」第一五號、一九九五年三月)である。扈氏は『全唐詩』の佚詩(新羅詩人の作を除く。以下同じ)二一家一四三首が確認できるとし、また『十抄詩』の成立時期を高麗(九一八~一三九二)前期、『夾注名賢十抄詩』の成立を一二OO年前後と推定した。 これを中國に紹介したのは牛林傑氏であった。牛氏は『韓國文獻中的『全唐詩』逸詩考』(「文史哲」一九九八年第五期)を發表し、第一章「《十抄詩》中的唐人逸詩考」において扈氏の說を襲って『全唐詩』の離詩、二一家一四三首の存在を紹介した。 ただし扈ㆍ牛兩氏の論考は、佚詩の認定に問題が多いだけでなく、佚詩本文の紹介がなされていないのを大きな憾みとする。最近、この缺?を補正する硏究が日本と中國において相次いでなされた。先ず日本で岡田千?氏が『十抄詩』の硏究-『全唐詩』の佚詩と校勘を中心に-』(二松學舍大學大學院二OO一年修士論文。未公刊)を著し、唐人佚詩を精確に判別して-O一首とした。2)やや後れて中?では金程宇氏「韓國本《十抄詩》中的唐人佚詩輯考」(瀋陽師範學院學報(社會科學版)」二OO二年第五期第二六?ㆍ綿第-三期。以下「輯考」と略構する)が發表された。金氏は岡田氏論文を?考にし、これに修正を施し佚詩一O二首と論じている(章孝標の「及第後歸酬孟元翊見寄」が『査唐詩』と異同甚だしいので、これを『一詩二稿者』として佚詩に加え、岡田氏判別の一O一首と?せ-O二首と見なした)。ついで査屛球氏も「新補《査唐詩》102首-高麗《十抄詩》中所存唐人佚詩」(「文史」二OO三年第一輯ㆍ總第六二輯)を公刊し、佚詩一O二首(章孝標の「及第後歸酬孟元翊見寄」は佚詩とせず、岡田ㆍ金兩氏が佚詩としない韓琮「?」を加える)を紹介した。岡田ㆍ金ㆍ査の三氏の論考によって、『十抄詩』『夾注名賢十抄詩』が傳える佚詩はほぼ確定した。また三氏はそれぞれ佚詩の本文を附し(岡田氏は査三OO首の本文を附載する)、作者と作品に考證を加えて『夾注』所所の佚文にも言及し、?考に資するところ多大である。筆者は、幸いにも諸氏未見の財團法人陽明文庫所?本『夾注名賢十抄詩』の利用の便宜が得られ、これに基づき調査?究を試みたところ、先行?究にいささか修正補足の必要を感じた。そこでここに卑見を述べ、中?ㆍ朝鮮ㆍ日本、漢字文化?三國に亘る貴重な文學硏究資料たる『夾注名賢十抄詩』の基礎的硏究としたい。なお小論末尾には、陽明文庫所?本の書誌事項や序跋ㆍ目?を附?し、また岡田ㆍ金ㆍ査三氏の論考の?容と重複する嫌いはあるが、所收詩人ㆍ作品の一?と佚詩?文を附載して?考に備えた。

Ⅰ. 先行硏究の補正

Ⅱ. 誤收ㆍ重出の詩と詩句の異同

Ⅲ. 本書の成立時期について-『樊川文集夾注』との比較による推定

Ⅳ. 夾注引用の佚文

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