日本固有の弦楽器である倭琴は、国家形成期の日本で特別に尊ばれ、王権儀禮や祭祀に用いられた。本発表は、このような倭琴尊重の基底に、中国七弦琴の理念があることを検証する。古代の首長や王たちは、中国禮楽思想で尊崇された七弦琴の権威を倭琴に仮託し、支配権の示威に利用したのである。a.出土品の倭琴倭琴とは、日本在来の弦楽器である。紀元前3世紀以降100點余の実物が出土しているほか、この楽器を演奏する埴輪が30點ほどあるなど、この時期の楽器としては突出して遺物が多い。周辺諸国の絃楽器との構造的な影響関係はなく、日本原産の楽器とされる。 出土品の倭琴の特色は、祭祀遺物からの発見が多いことである。とくに水辺で行われた祭祀で用いられたらしく、導水施設遺構や流路跡から発掘される。b.埴輪の倭琴倭琴は祭祀でどのように利用されたのか。その一端を明らかにするのが埴輪である。埴輪とは古墳から出土する素焼きの焼き物で、なかでも複数の人物や動物がまとまって出土するものを埴輪群像と呼ぶ。埴輪群像は古墳の被葬者が関わった儀禮場面を再現したものであり、弾琴埴輪がみられるのは、巫女が王に聖水を献上する祭祀の場面や、被葬者の生前の事績を巫女が歌う葬送儀禮の場面である。これらの例では巫女の傍らに弾琴する男性の埴輪が据えられており、倭琴は<水の祭祀><葬送儀禮>といった場面で演奏されたことが分かる。さらに弾琴埴輪の特筆すべき特徴として、奏者がすべて高位の男性であることが指摘できる。c.文献資料の倭琴埴輪に見られた倭琴の用途や特徴は、文献資料にも共通している。古事記(712年成立)では、祭祀権を象徴する「天の沼琴」をはじめとして、琴の用例のほとんどが王権と関わる。とくに王位繼承に関係する文脈上で語られることが多い。また、不思議な船で運んだ聖水を天皇に献上したという「枯野」傳承には、水の祭祀の名残をみることができる。いっぽう日本書紀の琴は、渡来人や葬送儀禮との関わりが色濃い。さらに風土記の琴は、ほとんどが素戔嗚尊ㆍ大己貴命という2柱の神と結びついている。以上のように、埴輪に見られた<王権><水の祭祀><葬送儀禮>との関わり、また男性の神ㆍ天皇ㆍ王族や渡来人が演奏するといった特徴は、文献例にも連続しているのである。これらはさらに、萬葉集(8世紀中頃成立)にも受け繼がれる。萬葉集の用例で注目されるのは、倭琴に七弦琴を重ねる表現が目立つ點である。倭琴が乙女と化して「君子の左琴」となることを願う話(巻5、810・811番歌)など、漢詩文受容が進み七弦琴理念を消化した貴族たちが、倭琴を七弦琴さながらに扱うことで君子を気取っている。しかし実は、倭琴に七弦琴の理念が重ねられたのは萬葉集が初めてではない。秦酒公が琴を弾くことで天皇を改心させた例(日本書紀ㆍ雄略天皇)など、最も古い書物である記紀の琴にもまた、七弦琴の理念がうかがわれるのである。したがって、文字以前の倭琴にもまた、すでに七弦琴の理念があった可能性がある。出土品や埴輪の倭琴と文献資料の倭琴には、文化的な連続性を認めることができる。ひいては文献資料の倭琴のみに現れる七弦琴の理念も、文献以前の倭琴から繼承された可能性を考えるべきだろう。とくに、演奏者が男性に限られるという共通點は重視しなくてはならない。七弦琴が君子の楽器であるとするのはあくまでも理念上のことで、実際の中国では女性奏者も少なくなかった。したがって倭琴の奏者が男性に限定されるという不自然さは、むしろ七弦琴の理念を偏重した結果と考えられる。材質的希少性はない木製品である倭琴が重んじられた背景には、七弦琴理念による権威づけがあったのだろう。古代朝鮮半島で尊ばれた加耶琴や玄琴が「唐の楽器」や「七弦琴」を元として作られたと傳えられている(三国史記ㆍ三国遺事)ことも、こうした推察の傍証となると思われる。
一. はじめに
二. 出土品の倭琴
三. 埴輪の倭琴
四. 文献資料の倭琴
五. 結論
引用文献
参考文献